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さんななキャリアの斉藤です(自己紹介)

さんななキャリアの斉藤です(自己紹介)

こんにちは。株式会社さんななキャリア代表の佐々木です。

 

 

今回は、弊社スタッフの自己紹介です。リサーチャーとして勤務してくれています。それではどうぞ。

 

 


 

 

こんにちは。斉藤と申します。

 

 

今回は私、斉藤が自己紹介記事を書かせて頂きます。

 

 

私のプロフィール概要

 

京都出身の昭和57年生まれ、この記事を書いている時点では38歳です。

 

 

私は、代表の佐々木と縁があり、株式会社さんななキャリアのリサーチャー業務を勤めております。

 

 

 

プロフィールはこちら。

・京都で公務員の両親のもとで育つ
・金沢大学経済学部卒業
・富士通系列のシステム会社に5年間勤務

・個人事業主として代理店営業に10年間従事

・さんななキャリア勤務2年目

 

 

モラトリアムと大人の洗礼が交錯した大学時代

 

金沢大学に進学し、田舎ののんびりした雰囲気の中で人生最後のモラトリアムを過ごしました。

 

 

大学生活では新しいことをはじめたいと思い、高校までやっていたサッカーではなく、アメリカンフットボールにチャレンジしました。

 

 

現役時代には、ベンチプレスで120kgの重量を上げていて、今の見た目からは想像できないとよく驚かれます。

 

 

 

 

選手以外でも、新入生のリクルートリーダー、HP管理人、主務、学生連盟委員などの事務方も担当しておりました。

 

 

大学では初めて親元を離れ、学生寮で4年間を過ごしました。

 

 

裏の 小学校の生徒が『お化け屋敷』と恐れる寮で、家賃はなんと驚異の月700円!

 

 

 

 

 

 

4年間の総額家賃が33,600円、東京の1ヶ月の駐車場代ほど。コスト意識の高い性格は、この時に染みつきました。

 

 

そして、100人の同級生が入寮し、先輩方の熱烈な歓迎を受けました。

 

 

新入生歓迎会では『14時間を歩く会』『2晩続く自己紹介飲み会』など。先輩方の愛情が強すぎるあまり、入学式までの1週間で約半数に減少していました。ここで精神力を養うことができました。

 

 

寮では基本的に2人部屋で、プライベートが皆無のなか、鍵を閉めることも少なく過ごす、少し変わった体験をしておりました。

 

 

また、『賄いでお寿司が食べられる』という理由で、寿司屋のバイトを始めました。回らない寿司で、店長さんと奥さん2人で切り盛りするお店。

 

 

店長の機嫌で時給が変化する超個人商店で、経営の真髄に触れました。

 

 

就職・個人事業主を経てさんななキャリアへ

 

大学卒業後、大手電機メーカーのシステム会社にSEとして入社するも、研修期間中に営業職へ変更となります。

 

 

幸運が重なり、多くを語らない営業スタイルで、2年目にして億単位の受注を獲得します。そして大きな賞を受け、海外への報償旅行にも招待を受けました。

 

 

しかし、そのときのボーナスがわずかしか増えず、現実に大きく落胆。

 

 

そのため、収入を上げるために2足の草鞋を履き始めました。

 

 

当時、ミセスワタナベ、デイトレーダーという言葉を耳にする機会が多く、FXや株式など投資がもてはやされていた時代でしたが、性に合わず、代理店業を始めることに。

 

 

その中で、代表の佐々木と出会い、人材紹介業に携わるようになりました。

 

 

さんななキャリアでは、3人目の「さ」行の男です(ささき・さとう・さいとう)。

 

 

 

 

はじめは助成金や社会保険関係の業務を担当させてもらったお客さんでしたが、代表の佐々木の圧倒的な遊技機熱と含蓄あるボキャブラリーに刺激を受け、徐々にその魅力に惹かれていきました。

 

 

今でも忘れられない代表の一言があります。

 

 

「パチンコ屋で俺は癒しを感じる」

 

 

その言葉に衝撃を受けました。

 

 

役員の佐藤に遊技機業界のことを教えてもらいながら、リサーチャー2年目に突入しております。強力な2トップのもとで日々研鑽し、将来に大きく貢献していくための力を蓄えております。

 

 

 

 

 

目指せ!トップリサーチャー!!

 

 

以上、斉藤の自己紹介でした。

 

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